top of page
「へさかのお地蔵さん」として地域の皆様に親しまれております、広島市東区の真言宗持明院です。

「へさかのお地蔵さん」として地域の皆様に親しまれております、広島市東区の真言宗持明院です。

 

当山は、文禄二年(1593年)現在の中島町(平和公園前)に毛利侯より寺領を賜った由緒ある寺院です。昭和四十二年に現在の戸坂へ移転致しました。

安心して水子供養ができるお寺として、多くの皆様にご参拝いただいております。

水子さんと向き合っている方へ

水子さんと向き合っている方へ

このページをご覧になっている方は、きっと、今ご自身の心に抱えていらっしゃる悲しみと、どう向き合えばよいのか憂いに沈んでいらっしゃるのだと思います。

一度ご自身の体に宿った命とお別れするまでの月日には、幸せや希望、苦しみや悩み、いろいろな気持ちをお腹の中のお子様と過ごされたことと思います。

そして、お別れしたことによってご自身の心には、なにものにも埋められない大きな穴がぽっかりと空き、自分の体の中に宿っていた命だからこそ抱える、言葉にはできない想いを感じてらっしゃるのではないでしょうか。

赤ちゃん女の子

どのような過程や結末であったにせよ、お腹の中にいたお子様に深い愛情を注いでいたから悲しみを感じるのです。

どうかその大きな悲しみを、お子様への深い愛情を表す想いや言葉に変え、水子となられたお子様へその愛情を捧げてください。

「いつまでも一緒だよ」
「大好きだよ」
「たくさんの幸せをありがとう」
「私を成長させてくれてありがとう」

と、悲しみを感じるほどに深く愛したその気持ちを

お子様にお伝えください。

お地蔵様
赤ちゃん男の子

虚無感や悲しみや後悔など、深く暗い感情とどう向き合っていけばよいのか、苦しまれておられる方も多いかと思います。

そしてパートナーの方やご家族の方も、ご自身と、そして失われた小さな命と母の悲しみを抱え、

傷心されていることと思います。しかしながら、その悲しみ苦しみは、お別れするまでに過ごした月日を大切に思われていた証です。

水子供養

それがお子様への供養となります。

そして何より、現世に生きるお母さんやパートナーやご家族の方々が、前を向き、明日を生きることが大切です。きっと水子となられたお子様もそれを望んでいます。

「無償の愛」と聞くと親から子へ注がれる愛情を思い浮かべやすいですが、たとえどんな親でも慕い続けてくれる子供こそ「無償の愛」を体現している存在だと感じます。

きっと水子となられたお子様も、お母さんやお父さん、家族の幸せを願っています。

大日如来

大日如来

水子地蔵の様子

水子地蔵の様子

水子精霊永代合塔碑の様子

水子精霊永代合塔碑の様子

水子供養のご案内

水子供養のご案内

法事

先祖供養

ご自宅、もしくは当山本堂にて執り行えます。
日時については、お電話にてご予約お問い合わせください。

先祖供養

法事

水子供養

縁がありこの世に命を授かりながらも、現世の恵みを受けることができなかった子の成仏を願い供養を行います。

ご予約は随時お電話にて承っております。個別で執り行いますので、他の方と顔を合わせることはありません。水子永代供養塔もございます。

水子供養 通常 2000円~

個別供養は5000円~

水子供養

祈願

身体健康・家内安全・病気平癒・商売繁盛・安産祈願・受験合格など諸祈願を行っております。

祈願 通常 2000円~

個別供養は5000円~

祈願

水子さんのご供養は、毎日8時~17時で随時受付けております。

水子供養のご案内
​持明院について

​持明院について

 文禄2年(1593年)に秀栄和尚が毛利公より寺領を賜り旧・木挽町(現・中島町:平和公園前)に開山。
 現在の平和公園前・平和大通りあたりは、戦前、「木挽町」「材木町」「天神町」という町があり、その町名が表すようにこの界隈は戦前、木材問屋や材木店が数多く商いをしていました。県北や瀬戸内海から多くの材木や商品が船によって搬入搬出され、当時は広島の物流拠点だったため、海上交通安全や商売繁盛・家内安全・諸願成就などの祈願所として当時、当山の鎮守「金毘羅大権現」ならびに「歓喜天」が多くの篤い信仰を得ていたそうで、遠くは周防まで及んでおりました。

原爆投下前の当山の様子
原爆投下前の当山の様子

 移転前は爆心地から500mほどの場所に当山はあったので、原爆投下により全て焼失しますが、戦後まもなくに同場所にて本堂を再建し、復興しました。
当時の住職の縁により旧市立高等女学校(現舟入高校)先生生徒原爆犠牲者の慰霊碑が建立されました。その御霊が御仏の大慈大悲に包まれ「永遠に安らかに」との悲願をこめ、昭和三十年遺族の方々より「聖觀世音菩薩」が奉納され現在のご本尊となりました。

原爆によりすべてを焼失した中で、唯一寺歴を物語る「被爆手水鉢」。

側面には寄進された年号「天保十年己亥」(1839年)ならびに当山第十四世の名と寄進者「周防下松、中村屋武兵衛、願主、若狭屋甚三郎」の名が刻まれており、かつての信仰の広さを物語る貴重な資料とも言えます。

被爆手水鉢

​ 昭和42年(1967年)より閑静な信仰の場を求め、現在の地(東区戸坂)へ移転しました。

 

 水子供養以外にも、先祖供養 厄除け 身体健康 家内安全 病気平癒 商売繁盛 安産祈願 受験合格などの諸祈願も行っています。

持明院
境内案内

境内案内

境内案内
持明院について

コロナ対策

持明院では安心していただけるように、下記のような新型コロナウイルス感染症予防対策でお待ちしております。

検温

​マスクの着用

​設備の消毒

手指の消毒

アクセス

アクセス

〒732-0009 広島県広島市東区戸坂千足1丁目12-27

バスでお越しの方

広島ゴルフ場前停留所・徒歩3分

お車でお越しの方

広島インターから10分/安芸大橋から2分

高陽中央通り・ロイヤルホスト戸坂店信号入る

〒732-0009 広島県広島市東区戸坂千足1丁目12-27
アクセス
お問い合わせ

お問い合わせ

TEL:082-229-2971

FAX:082-229-1919

​お気軽にお問い合わせください。

お問い合わせ

©持明院 All Rights Reserved.

bottom of page